留年体験談「北海道を遊びすぎた男②」
こんにちは、リビルディングラボのじゃんぼです。
今日は北海道を遊びすぎた男、第2回をお伝えしたいと思います。
北大に入ったものの、授業にはあまり行かずに、部活に旅行に、北海道を楽しんでいたシライ君
1年生の前期では10単位も取れずに、後期でも頑張ろうとするも、おしくも数単位足りずに留年してしまいました。
第1回では彼の留年経緯について聞いてみました。
第2回の今回は留年をして感じたことや、彼の中高時代の事を聞かせてもらいました。
彼の高校時代はキュウリがキーワード!?
(顔出しNGのシライ君)
留年をして感じたこと、大学の対応に思う事
じゃんぼ(以下略)「留年が決まった時はどういう感じだった?」
シライ君(以下略)「成績が出るまでは、どっちに転ぶか分からなかったんですよね。成績発表の時は、ホントに大学の合格発表並みに心臓が止まるかと思いました(笑)結局足りない事が分かった時、衝撃は大きかったですね」
「それでも、一応ある程度の覚悟はできていたので、そこまで悲観的にはならなかったですかね。まあこういう事もあるかな、という感じですかね。それで、やはり最初に感じたのは金銭的な事ですね。一年余分に大学に行くわけですから、その分の授業料と生活費をどうしようとなりました。それが2回目の一年生の時は後期休学して働くことにもつながりました」
なるほど、やっぱりショックはあったけど、そのあとはお金のことが気になったんだね
「はい。あと感じたのは、大学主催で1年生で留年した人向けの説明会が4月のはじめにあったんですけど、そこに参加したんです。会場になってる教室に入って、思ったのは、来てる人みんな留年してるだけあって目がくすんでるな、と。きっと自分もそうなんだな、と思いましたね。それで、自分の立ち位置みたいなものを客観的に知りましたね」
その会は何を説明してくれたの?
「その会は大学事務がやっていて、手続きとか事務的な事だけでしたね。進級要件とか、2年生に上がるときのやり方とか、授業の履修登録の事とか」
説明だけで、頑張ってくださいとかそういうのは特になかったんだね
「そうですね。頑張れとか、お前らはクズだとか、そういうのはなかったですね」
さすがにそんなことは言われないでしょ(笑)
手続きがややこしいから説明しておくぞ、って感じだったのかな
「そうですね。ただ他に感じたのが、その会場になった教室が、1年生の校舎の一番端のあまり日の当たらない部屋で、なんかこう、自分たちは学校のはじに追いやられる、掃き溜めとかゴミみたいな、大学側もそう思ってるのかなみたいな気持ちになりましたね。それでちょっと悲しい思いをしました」
それは大学の配慮も足りてなさそうだし、繊細な時期にはきっとそう感じてしまうよな。
その会は何人ぐらい来てたの?
「20人とか30人くらいですかね。留年生が100人くらいいるので全体の2,3割くらいだと思います」
そうだよね、あまりみんなは来ないよね。俺は留年した時そういうのがあった事も覚えてないや。行きたくなかったのかも。
学費の話、お金の話
留年した時はお金の事を心配したって事で、親にも相談したと思うけど、学費とかはどうすることになった?
「留年を伝えた時は、相当怒られましたね。留年した分は学費も生活費も自分で払う事になりました。それでもすぐには払えないので一度親に立て替えてもらって、社会に出て働いてから返すか、学生のうちにバイトして徐々に返すかになりました。それで、2年生への進級要件としてはもう残りの単位は多くなかったので、後期休学してがっつり働こうと決めました」
なるほどね、もともとは親に学費も生活費も出してもらってたの?
「もともとあまり折り合いがついてないところもあって、全部を出してもらってはいなかったですね」
じゃあ一年生の時から結構バイトしてたんだ。
「そうですね。一年のときはずっとコンビニでバイトしてました。それが深夜だったので、生活リズムが狂ってしまったところはありますね。それが留年に影響したのもあると思います」
生活リズムは大事だよね。そういうパターンの留年生は結構いると思う。
金銭面の不安もこういう感じであったと思うけど、将来の事とかも不安にならなかった?
「なりましたね。留年した時に友達に言われたのが、1年留年すると将来の収入が1000万くらい減ると。一番稼げる最後の1年がなくなるんだぞと。それ言われたときに、まったくそういう考えはなかったので、一生で考えると損の額は学費と生活費だけじゃなくて、そこも入るのか、と思いましたね」
もったいないな、みたいな?
「そういう風に感じましたね」
留年してもそこまで暗くならなかった
それでも、お先真っ暗みたいな感じではなかったのかな。
「そうですね。勉強もしたくなかったんですけど、かといって早く社会に出て働きたいかというとそれも違ったので、1年モラトリアムというか夏休みが長くなると思えばそれも悪い事じゃないかな、と思いましたね(笑)。そういう風に割と切り替えは早い方でしたね」
なるほどね。結構ポジティブだったんだね。
探検部とかだと勝手に留年生多いイメージだけど、周りにも留年生は多かったのかな。
「探検部にもいましたし、類は友を呼ぶといいますか、僕の友達は留年した奴がおおかったですね」
そしたら俺だけ遅れる、みたいな不安はなかったのかな。それは大きそうだね。
「そうですね。留年とかの悩みを真剣に話し合う、とかはなかったですけど、留年生同士で留年あるあるを話し合って笑うみたいなのはあったので、気持ちは楽になったと思います」
なるほどね。留年してしまうと、それを友達にもあまり言えない、みたいな人もいるけど、シライの場合は割とオープンだったんだ
「ですね。昔から知ってる友達とかに隠してもしょうがないですしね。初対面とかでは、たとえば留年した後、普通の1年生の人と一緒に授業受けて、学生番号を書かなきゃいけないときとか、少し後ろめたさというか恥ずかしさはあったりしましたね。あ、ダブってるんだ、って初対面で思われるのは正直いい気分ではなかったですね」
そうだよね、いきなり思われちゃうのは辛いね。
それでも今まで話聞いてみて、シライはそんなに深刻にはならなかったんだね。ちゃんと卒業目指してやっていこうとはなったんだ。
「そうですね。ゴールは卒業だな、と決めてました」
シライ君の子供時代
大学に入る前はどういう子だったとか、聞いてみたいんだけど、小学校の頃はどうだった?
「基本的にはまじめだったと思うんですけど、当時から計画性はなかったですね。夏休みの宿題は最後にまとめてやるとか。行き当たりばったりなところはありましたね」
それでも、さぼったりはせず、やる事はやってたんだね。
「そうですね。先生に怒られるのが好きではなかったので(笑)。最低限、課題とかは出してました」
勉強バリバリやるという子でもなく、割とよくいる子供だったんだね。
「そうですね、どちらかといえば勉強はできる方だったとは思いますが、フツーの子供だったと思います」
中高時代もそんな感じ?
「そうですね。ただ高校ではレベルの近い人が集まっていたので、勉強の競争を意識するようにはなりましたね。それが楽しいなと思う反面、息苦しいなって感じはありましたね」
結構張り合ったりするのかな。
「表立っては張り合わないけど、裏では順位を気にしてる、って感じでしたね」
なるほどね。遅刻欠席とかはどうだった?
「やっぱり朝の段取りが悪くて、慌てて家を出て結果何分か遅刻するってことは結構ありましたね。休んだりってことはあまりなかったです」
そっかそっか。普通の範囲でって感じかな
中高は部活は何してたの?
「中学では陸上で、高校では登山部に入りました」
高校から登山始めてたんだ。部活は結構忙しかった?
「中学の時は顧問がスパルタで忙しくて、その反動で高校ではゆるく楽しめる部活にしようと思って登山部にしました。もともと登山が好きだったとかではないんですけど、やってるうちに自然の中にいるの楽しいなってのがあって、北大に来たってのもありますね」
なるほどね。小中高と特にサボったり不真面目だったわけではなく、ただ段取りがへたくそって子供だったんだね。大学でそれが変わったのはどういう理由なんだろう
「怒られないってのが大きいですね。もともと手が抜けるところは最大限手を抜くタイプです(笑)。大学は行かなくても怒られないので、そこが一番大きいですね」
それが基準なんだね、監視の目が合ったらやれるという(笑)
「ホントそうですね、家なんかも見えるとこだけキレイで、タンスの裏は汚いという。そんな感じの人間なんです(笑)」
そうなんだ(笑)
キュウリの話
いきなりだけど、中高時代にシライっぽいエピソードとか何かある?(笑)
「え、急に難しい質問ですね(笑)なんだろう・・・、面白いかは分からないですけど、結構昔から貧乏くじを引かされるみたいなことが多くて。高1で登山部に入って最初の夏に、本格的な山登りって事で北アルプスに4泊5日で行ったんですよ。それで色んな食料とかを持ってくんですけど、当時その部活は僕と先輩の2人だけだったんです」
2人で山登ったの!?
「先輩と顧問の先生の3人で行きました、2人ではないですよ(笑)」
びっくりした(笑)それでも3人だけか。
「それで、その 先輩が登山部なのに貧弱だったんですよ。それで山登るうちにどんどん僕の荷物が多くなっていって。それで食料でキュウリをたくさん持って行ってたんです。ところが先輩はキュウリが嫌いで、俺は食わない、と。それで僕だけ一晩で4本とか5本キュウリを毎晩食べてたんです。結構イライラが溜まってて、山の中で文明と隔絶されているのもありますし。4泊5日で長かったですし。それである時キュウリを食いながら我慢の限界を越えちゃって。なんで山の中で一人でキュウリを5本も食べなきゃいけないんだって、テントの中で泣いてました(笑)」
面白すぎる(笑)なんでそんなにたくさんキュウリ持って行ったの(笑)。そもそもキュウリってわりと重いでしょ(笑)
「なんでかは忘れたんですけど、とにかくたくさんあったんですよ。先輩も食わないし。それで、その後部活に人少ないのもやだなと思って、2年生以降は勧誘を頑張って部員を増やしましたね。増えてきたら、部活でわいわいできて、楽しかったですね。思い返すと、中高大と色々できる事や付き合いの幅も増えて行って、そういうのを肌で感じるのは楽しかったですね」
なるほどね。昔の話から、シライの事よく分かってきた!
第2回はここまでになります!
次回、就活の話などになると思います!お楽しみに!
私たちリビルディングラボは、留年生による留年サポート団体です。
詳しくは
をご覧ください!